1992年頃作った曲
【オリジナル】ある日の物語 作詞作曲:前田・Nushi・まさのり
「情景が浮かびました」と言っていただけました。
ありがとうございます^^
歌でいえば、音程が上がりきってないところが多々あるわ、語るところ語れず等々。
ギターとのハーモニーでいえば、もっと抑えて弾いてもよいところ、
ボーカルをもっと弱くするところ等々、すべてがフォルテの悪いところが出て、、、
リズムでいえば最後のサビをもっともっと慌てず走らずに、、、
と、30年以上たってホントに久方ぶりに歌う曲は、
我が地力のなさを再確認させてくれる試金石となってくれました。
ますます精進せねばなりませぬ。。。
作曲
これもカントリー・ロック調です。
曲自体はさほど複雑なコードは使っていません。
ありがちなコード進行です。
よくあるベース・ラインで降りたり上ったりといったことはしていますが。
あ、間奏と最後のサビ、エンディングは
なんていうのか知らないコードを使っていますけど(笑)
うろ覚えですが、最初のイントロのコード進行と
「イェエエエエエ」というメロディが浮かんで、
そこから膨らましていった様な記憶がありますな。
間奏や最後のサビのコード名を知らぬコード進行も、
頭の中に浮かんだ音を探っていったら、
あの音になった、というところです。
令和5年版では使っていないのですが、
1992年版は、間奏とエンディングにハーモニカを使っていました。
頭の中に浮かんだストリングスをハーモニカで演っていましたねえ。
作詞
こちらもうろ覚えでおそらくですけど、
どこかのメロディと歌詞が一緒になって出て来たのではないか?と。
そこから膨らませて、物語を構築したのだろうと思います。
当時はブルース・スプリングスティーンや
ジョン・メレンキャンプが好きでしたから、
ストーリー性のある歌詞を目指していましたよね。
あまり歌詞に苦しまないで仕上げられたと思います。
で、この歌詞は、母(81)が昔々に、
東京大空襲の際、東京方面が真っ赤になってた、
という話をしていたことがあり、
それがものすごく前田の記憶に残っているのですね。
母の実家は栃木市なのですが、
ホントに見えるの?と思ってました。
が、電車で日光線に乗ると、栗橋あたりの田園風景の地点から、
富士山がハッキリ見えるのですよ!
こりゃ見えるかも知らん、と思い直しましたわ。
当時の母は4才です。
遠くの空が真っ赤になっているのが見えれば
そりゃ幼心にも記憶に残るなと思います。
あ、歌詞の時代設定とか時代考証とか、
適当ですので、そこはご了承ください^^
ある日大人たちが騒ぎだした頃 幼いぼくたちは初めて出会った
兄貴と妹ができたようで いつでも3人で遊び回っていたんだ
ある日よく晴れた空の散歩道 兄貴があの子の手を引いて歩いてる
あの子が兄貴に何かを尋ねてた 兄貴は微笑んで遠くを指さした
うつむいた妹に兄貴は言い聞かせてた
「パパとママが向こうの空でぼくたちを待ってる」
ある日二人が家に飛び込んで来て 1枚の葉書をぼくに見せてくれた
その時大人達が集まって来て ラジオのニュースに聞き入っていた
知らないところで世界は動いてた
ぼくたちはいつでも蚊帳の外に置かれてた
近寄りがたい空気に包まれて 怯えたあの子は兄貴にしがみついた
泣きじゃくる妹に兄貴は言い聞かせてた
「パパとママが向こうの空でぼくたちを待ってる」
ある日ふいにその日がやって来た
いつまでも一緒にいられると思い込んでた
パパとママに手を引かれながらあの子は 何度も振り返りぼくたちを見ていた
兄貴と約束を交わしながら 初めて会った日のことを思い出していた
兄貴の後ろに隠れるようにして はにかんでたあの子は
とても可愛かったんだ
ある日二人の向こうの空が真っ赤に燃えた
ある日二人の向こうの空が真っ赤に燃えた
ある日二人の向こうの空が真っ赤に燃えた
ある日二人の向こうの空が、
ある日二人の向こうの空が真っ赤に燃えた
コメント