ぬしこと前田は、大学卒業後数年間、
プロを目指しライブ活動をしていた。
その際、いくつかのバイトを掛け持ちしたりしていたが、
そのうちの一つに、コンサート会場の設置・警備がある。
大学時代の後輩に紹介してもらい、数回働いた。
C-C-B解散後の関口誠人コンサートへ
で、C-C-B解散後すぐくらいの関口誠人のコンサート会場設置に行った。
何ぶんもう25年くらい前のことなので記憶が定かではないのだが、
汐留の跡地に作ったコンサート会場だったと思う。
今の汐留ができる前だ。
仕事はあまり熱心にやってはいなかった。
何しろ、大きなスピーカーをいくつも運ぶわ、何個も重ねるわ、
ギターアンプやらベースアンプを運ぶやら。。。
力仕事である^^
なのでコード、シールド類を束ねたり、
ガムテープでステージ上に止めたり、
ゴミを拾ったり。。。
当時はまだまだ未熟者である(笑)
いや、今もかww
生関口氏を垣間見る
コンサート中は特にやることもなく、
ステージが終了するのを待っていたと思う。
アンコールだと思うが、関口氏が着替えにやって来た。
早業である。
さっとパンツ一丁になり着替えて、
ベルばらのオスカルのような衣装
(おおーっ!と感嘆した記憶があるww)で
颯爽と出ていった。
あまり大きくないな、ということと
白パンツに肩パットが印象に残っている。
さて、アンコールも終わり関口氏が会場を後にした。
さあ、我々の出番である。
そこで見た風景は―
後片付けの出来事
椅子だけが残ったがらんとした会場。
あれも独特の雰囲気がある。
で、ステージに上がり機材をばらけようとしたときに見たことー
ファンの子が投げた、花束や手紙、
プレゼントがステージ手前にたくさん落ちている。
それを、スタッフがほうきで掃いてはビニール袋に入れている。。。
それを見た前田は、
「あれは、きちんと関口氏に届くのだろうか。。。」
いたたまれない気分になったものだ。
好奇心で手紙らしきものを見てしまったのだが、
「いつまでもずっと応援してます」みたいなことが書いてあった。
今でもそうかな??
・・・なあんて突っ込みはやめておこう(笑)
最後に
C-C-Bも解散後も、メンバー個人個人も何とか頑張ってきたようだ。
ベースの渡辺英樹氏が亡くなった時は、
ビックリしたものだ。
何しろ同世代、正確には5つ上だが、
若いころからなじみのあるミュージシャンが亡くなるのは、
本当に寂しいものだ。。。
ちょっとしたニュースをネットで見かけたので、
この項を書いた。
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